合唱の目標

かの田中信昭先生はおっしゃった.

歌い手が興奮するのは,三流の合唱だ.
指揮者が興奮しているのが,二流の合唱.
聴き手を興奮させるのが,一流の合唱である.

これを大学合唱団の副指揮者時代に田中先生から言われ,心に強く響いたのを覚えている.
合唱の目標として,聴き手を楽しませることを第一に考えるのはとても重要なことだと思う.

 

では,聴き手を満足させる合唱とは,どんな合唱だろうか?

 

先に僕の現時点での(アマチュア合唱団の団員としての)結論を述べておく.

歌い手の音楽的興奮が,聴き手と共感される合唱.

 

聴き手を興奮させる合唱を考える上では,まず聴き手がどんな聴き手なのかを考えなければならない.
例えば老人ホームなどで訪問演奏会を行う場合に,本格派邦人作曲家合唱曲をバッチリ歌っても,おそらく聴き手は喜んでくれない.
それよりも,シンプルな編曲の唱歌を朗々と,歌詞に感動しながら歌い上げた方が,聴き手は感動するはずだ.
会社や学校の友人など,合唱にあまり興味のない一般の方たちを興奮させるためには,分かりやすい仕掛け満載の曲だったり,振り付けなどを多く取り入れた方が,聴き手を満足させられる.

 

問題は,聴き手が合唱人だった場合である.
というかほとんどの場合,合唱の聴き手は合唱人である.
どうすれば,合唱人である聴き手を満足させられるのだろうか?

 

ここで,合唱人の中でも,聴き方の心構えが時と場合によって大きく異なることに注意する必要がある.
例えば,1年後の演奏会でなにを演奏しようか迷っている学生指揮者に,ちょっと興味あるけどCDが手に入らない曲を演奏してやれば,それを聴けるだけで満足できる.
また,一度歌ったことがある曲と,聴いたことも楽譜も読んだこともない曲では,聴くところが異なってくる.
そこで問題を簡単にするために,僕が,聴く合唱曲に対して知識(楽譜を熟読して曲をある程度把握しているなど)をもっている曲を聴く場合,どのような演奏に対して満足するか?について考えてみる.

 

このような場合僕は,楽譜から自分なりに把握した音楽像を脳内再生し,演奏がそれに対してどう異なっているか?を聴いている気がする.
自分が予想した音楽と同じ音が鳴れば,「そうそう,そうだよなあ」となる.
ちょっと異なる音が鳴った場合には,「ここはこうしてくるか!」という驚きと興奮になったり,演奏者の意図がよく分からない場合は「僕ならこうはしないのになあ」というもやもや感,であったりする.

結局,僕が聴き手として興奮する合唱は,

  • 演奏者の意図が理解できて
  • かつその意図に納得・共感できる度合いが強い

合唱である.

このような演奏をするためには,

  • 十分に音楽を理解して
  • その理解を演奏に反映される音楽的技術をもって表現する

ことが必要になる.
音楽理解の深さが聴き手の納得・共感に,演奏に音楽を反映させる技術が,演奏者の意図を正しく伝えることに影響する.
一般的に世に存在する合唱曲はすばらしい曲が多いので,音楽をちゃんと理解すると,それはもう興奮ものの音楽がつまっている.
それを正しい技術で表現して,音楽を聴き手と共感しあう.
これを一言でまとめると,「歌い手の音楽的興奮が,聴き手と共感される合唱」が理想の音楽となる.

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話はすこしとぶが,先週第64回東京都合唱コンクールに鈴優会の一員として参加した.
結果は2位金賞.いわゆるダメ金だった.

この結果は,金賞でうれしいし,1団だけ自分たちよりすばらしい合唱団があっただけという話なのだが,それでも少しショックだった.
なによりも,今回僕は自信を持っていた(おごってるだけですが).
少なくとも,全国大会に出場した去年よりも音楽的な理解が進んでいた.
それを伝える音楽的技術も,まだまだだけれど,去年と同程度のクオリティは保っていた(と思う).
自分たちの演奏を録音で聴く限りでは,現時点の最高の演奏ができたと思っている.
でも,その演奏の結果,全国大会に進むことはできなかった.ううむ,残念.

自信があった分,こうゆう結果になって(いや,冷静に見れば非常によい結果なんですが,,)
コンクール夜の打ち上げは酔っぱらって妄言を吐きまくって迷惑をかけました.すいません...
今回の結果は,僕にとって,「理想の演奏とはなにか」を改めて考えさせてくれるいいチャンスになりました.
もっといい演奏ができるようになりたいです.